大野市とは
大野市は天空の城として名高い「越前大野城」をいただく、人口35,000人の城下町で福井県の端、岐阜県との県境にあります。
北陸の小京都とも言われるように、碁盤目状の市街地と、多くのお寺を有する城下町特有の落ち着いた佇まいの町です。
昭和のこどもたち
越前大野城
四方を山々に囲まれた大野盆地。
その城は大野市の中心部にある亀山にそびえたち、この城下町が雲海に包まれ、亀山だけが浮かんで見える日に「天空の城 越前大野城」が現れます。
昭和のこどもたち
七間朝市
北陸の小京都といわれる越前大野で400年以上の前から続いている七間朝市では、農家の主婦たちが丹精込めて育てた農産物を路上に敷いたゴザの上に並べて売っています。
昭和のこどもたち
越前大野・冬物語
雪深い大野は逆に雪を味方にしました。
冬休みの七間朝市通りは雪灯ろうの灯りで幻想的な雰囲気に包まれます。
この静かで美しい佇まいの町で
歴史を紡ぐ大野人(おおのびと)の姿を見つめます。
こころの豊かさ再発見事業
2007年6月に福井県大野市により「昭和のこどもたち」を使った「こころの豊かさ再発見事業」がスタートしました。
人形作家の石井美千子の「昭和のこどもたち」の作品に触れることで忘れかけていた日本人の心を感じ取り真の心の豊かさを再発見し、青少年教育、社会教育や地域教育につながることを目的に実施しています。
 (平成19年6月開始・現在も継続中)
大野市結の故郷ふるさと教育推進計画 -平成28年度版参照
https://www.city.ono.fukui.jp/kosodate/shogaigakushu/furusatokyouiku.files/--.pdf
「昭和のこどもたち」特別オリジナル写真パネル展
福井県大野市より製作依頼された「昭和のこどもたち」特別オリジナル写真パネルは、「こころの豊かさ再発見事業」の一環として2007年6月31日、有終館から「昭和のこどもたち」写真パネル展として始まりました。
大野市有終会館での『昭和のこどもたち』写真パネル展
昭和のこどもたち
昭和のこどもたち
昭和のこどもたち
有終館ホールでの展示終了後大野市内の福祉施設、教育施設などを巡回展示しており
2017年現在も引き継がれています。
昭和のこどもたち
昭和のこどもたち
昭和のこどもたち
当時の福井県の新聞記事にその様子が掲載されました
昭和のこどもたち
人形作家・石井美千子講演会「記憶の宝物」
2008年、大野市教育委員会主催による講演会が福井県大野市「学びの里「めいりん」講堂」にて行われ、「昭和のこどもたち」写真パネルや、人形が数体展示されました。
昭和のこどもたち
【出席者(パネリスト)】
大野市長 岡田高大
大野市教育委員会 社会教育課
石井美千子
高齢者施設の職員の皆さん
大野市の市民の皆さん
【講演内容】
いつ頃からこうも人間の言葉が通じなくなってしまったんだろう
現代社会は『死』を見据えない。『死』を外した経済社会の中で、人の意識に中で『子供』『大人』『老人』が分断されている。
『自分』と『他者』が分断されている。
子供の顔が大人のように疲れて見える。老人の顔が無表情に見える。
『キレる』という言葉が横行する。
『親の心がわからない』と言う子供。『子供の心がわからない』という大人。
なぜでしょう。戦争がない世の中、誰も飢えることがない世の中で。
『子供文化』は『大人社会』を映す鏡のような関係にあります。
昭和30年代、子供が素直に子供でいられた。その子自身の顔(表情)が表れていた。
『人生』という船の航路が間違った方向に進まないように『こどもの頃の私』が灯台の役割を果たしてくれる。
親子、肉親の愛、家族の愛、人間同士の愛を確かめるための人間として当たり前の大切な記憶がある。
石井美千子・記 『記憶の宝物』より
「昭和のこどもたち」人形展
2010年、商店街活性化の目的もあって、スーパーの空き店舗を会場とした「昭和のこどもたち」人形展が開催されました。
会場前で行われたオープニングは、岡田市長・大野市教育委員会や商店街の人たちと共に町ぐるみで行われました。
Before
昭和のこどもたち
After
昭和のこどもたち
下の写真は会場風景です。
城下町大野の歴史を語る金看板や歴史資料館所蔵の古物とのコラボレーションで時代をたどりました。
昭和のこどもたち
昭和のこどもたち
昭和のこどもたち
「こころの豊かさ再発見事業」は今も続いています
2007年にスタートした、福井県大野市による「こころの豊かさ再発見事業」は今もなお続いています。
下記は福井県の雑誌、「月刊fu」でこうした活動を掲載されました。
昭和のこどもたち
福井市出身の人形作家石井美千子さんが制作した人形「昭和のこどもたち」の写真パネル52点が、大野市役所で展示されている。
昭和30年代を伸び伸びと生きる子どもたちの表情豊かな人形が、見る人を追憶へと誘い感慨を与えている。
石井さんは「戦後の日本の原風景を通じて、愛や平和とは何かを確認してもらいたい」と話している。
石井さんは1989年から「昭和のこどもたち」に取り組んでいる。
人形はキリの粉にのりを混ぜ合わせた粘土で作り、表面は岩絵の具などで仕上げている。
大きさは30~45センチほど。これまでに300体余りを制作した。
全国各地で展覧会を開き、好評を得ている。
岡田高大市長が石井さんの作品にほれ込み、2007年に写真パネルを購入。
同年と08年、10年に市内で展示した後、市内の福祉施設で数点ずつ巡回披露していた。
新庁舎になり広いスペースができたことから、一堂に集めて展示することにした。
目を引くのは、子どもたちの表情の豊かさ。
取っ組み合いのけんかで今にも泣きそうに顔をゆがめた子、メンコやこま遊びに夢中になる子。
無垢(むく)な子どもたちの姿がそのまま、貧しくも生命力あふれる時代背景を映し出している。
石井さんが作品に込め続けたのは「愛と平和」への願い。
戦後70年を迎えた今、その思いを一層強めている。
「先の大戦で、日本は明らかに加害国だった。戦争を体験した世代はトラウマを抱え、死ぬまで癒やされることはない。そういう人たちに、戦後に現れた自由で健康で闊達(かったつ)な日本人の姿を確認してもらいたい。
少しでも寄り添い、慰められれば」(石井さん)。
また、団塊世代層には物質面でなく心の面で豊かだったころへの回帰を促し、若年層には“本当の幸福”に気付くためのツールになればと願っているという。

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